8月6日 8:15
8月9日 11:02

それぞれ広島、長崎に原爆が投下された日時です。

なぜ覚えているか、というと。
私は長崎県で生まれ高校2年末まで過ごし、それから高校3年の時に広島に家族ごと引っ越しました。
長崎でも広島でも、上の2つの時刻に、終戦記念日の正午に鳴らされるのと同じサイレンが鳴り響くのです。

小学校の頃は8月20日ともうひとつ8月9日が夏休みの登校日でした。
8月9日の登校日では、原爆で被災された方の生々しい写真や「はだしのゲン」の映画などを見せられました。
その所為か、ホラー映画を観ると小学校の時の記憶が蘇り、だからホラー映画は観たくないものとなっています。

けれども。
大学生時代に過ごした大阪、就職してから住んだ神奈川、東京。
いずれも上の2つの時刻にサイレンを聞きませんでした。
だからTVを付けてニュースを見て、「あぁ~、今日だったんだ」と思うことが増えました。

他の県ではどうなのでしょう?
原爆投下の時刻を知らせるものではなくても、例えば7月4日の高松大空襲の日、高松では7月4日にサイレンはなっているのでしょうか?

先日観たミュージカルでは、第2次世界大戦を匂わせる演出が盛り込まれていました。原作にはないモチーフです。
正直、唐突な感じがするのは否めません。
でもそれだからこそいいのかもな、とも思いました。
「なんで戦争を入れたがるんだろうね?」という疑問の会話であっても、「戦争」について意識が向けられる、ただそれだけでも意味があるのでは?と思うからです。

「戦争」は、今では平安時代や戦国時代と同じくらいの感覚で「歴史上の遠い過去の出来事」となってしまったのではないか?と思うのです。
日本では遠い過去の出来事でも、日本よりも遠い国では現在進行形の出来事だったりします。

数ヶ月前には沖縄の基地問題が話題となりました。
それも結局は選挙の議席数に連動したものになってしまったように感じて残念です。

二度と日本が起こさないように、また日本が巻き込まれないように。
パワーバランスによる抑止の他にも、日頃からの外交など非戦の行動にも重きが置かれるべきではないだろうか?とも思います。

世代を超えて覚えておくべきこと。
それは伝える活動、努力が必要です。
できることをやってみましょう。