冒頭の両氏の演説を聴いて、ちょっと出掛けたのですが。

結果はまぁ、世論のとおり。
ある意味順当な結果でしたが。

演説を聴いて思った率直な気持ちは、「管さんでは頼りない」ということでした。
正直、聴いていて最後まで聴くのが苦痛なほどつまらない演説。
「民主党にはこれだけの略歴をお持ちの方がいますよ」と前職歴をあげるくだりなんか、「そんなに全部言う必要ある?」という感じで。
与えられた15分のうち、その職業名をあげるのにどれだけの時間を要しているのか?

そして一番は、「こういう国にしたい!」ということが全くでなかったこと。
「なんとかプロジェクトを掲げていますように・・・」という言葉はありましたが、その内容を言いなさい!と苛立ちました。
「ここに書いてあるからそれを観てください。でも私に任せてください!」
これって営業の人だったらありえない説明だと思います。

単なる一党の党首であれば別にいいですが、その人が国を担う人を兼ねるというところに、もっと自覚を持っていただきたかった。

小沢さんは確かに劇毒かもしれない。
しかし、毒も薬も結果が思わしくなければ毒、結果が好ましければ薬と言われるのであって、作用の強さを持っているという点では共通のもの。
困るのは「毒にも薬にもならない」意味の無いもの。

この頃、ふと頭によぎるのが、史記に出てくる「趙奢、趙括親子」の話です。
「趙括は趙の名臣となった趙奢を論破する程の俊才で子供の頃から期待されていたが、ただの机上の秀才であり、いざ将軍に任命されるや国内に侵攻して来た秦軍を率いる白起相手に大敗をきして趙軍40万人の命を失った。」というものですが、理論や知識ばっかり豊富でそれを実践した経験値が乏しい人の危うさを指南する逸話であると思います。

内政・外交などでは、時にクリーンなだけではないしたたかさ、豪腕さも必要となるでしょう。清廉潔白で理想だけを説くだけでは現実界との乖離が甚だしくなることもあるでしょう。
清廉な理想を抱きつつも、現実界にしっかり活きて、バランスを取りながら理想を現実化していく才能を、管さんには感じなかったのです。

小沢さんが良かったとは思いませんが、この両名しか選択できる候補はいないのか?という虚しさは感じました。

管さんがどんな日本にしたいのか?
しっかりと表明する日は来るのでしょうか?

そう嘆いても、まずは自分の理想を現実化することを目標に、自分の目の前のことをひとつひとつやっていくこと。それは諦めず、嘆かず、やっていこう!