言の葉

渋沢 栄一さんの言葉

「日々に新(あらた)にしてまた日に新なりは面白い。
 すべて形式に流れると精神が乏しくなる。
 なんでも日に新の心懸が肝要である。」

               渋沢 栄一氏 故人


私の自宅近くに記念館がある方なのに、さほど興味を持つことなく、知らなかった方なのですが、縁あって本を手に取り、その功績の凄さ、精神の尊さに触れるに、
「もっと早くに知ろうとすれば良かった。」
と思うと同時に、
「今この時期にめぐり合えてよかった。」
とも思います。

下記の本のほんの出だしで既にこのメッセージがありました。

人はより多くのことを行うために、ついつい慣れたことは惰性で済まそうとします。
しかし、惰性は形骸化につながり、いつしか日々の行動の多くが形骸化した人生になってしまうのではないでしょうか?
似ているようなことでも実は新しいこと!
そんな新鮮な気持ちで日々真剣に生きたいものです。

孔子の言葉

子曰、知之者不如好之者、好之者不如樂之者

                       論語より

書き下せばこうなります。

「子曰わく、これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。」

昨年一年間に限った話ではありませんが、昨年よくお店に訪ねて下さった人生の大先輩に一番教わったこと。
それが
「自分が楽しまなきゃ誰が自分の人生を楽しくしてくれるんですか?!」
ということでした。

知識として知っている人よりはそれを好きな人には及ばない。
それを好きな人はそれを楽しんでいる人には及ばない。

生きることを楽しむ。
例えどんなことが起ころうとも楽しさに昇華する。
これが振り返ると楽しい人生だった♪ という極意のようです。

今年の抱負として♪

金子 大栄さんの言葉

「花びらは散っても花は散らない。
 形は滅びても人は死なぬ。」

                    真言宗僧侶 金子 大栄 さん



日々の自転車通勤の道すがら、仏教系幼稚園の前を通ります。
いつものように通り過ぎようとした時に、ふと目にとまった掲示板の中の言葉。それがこの「花びらは散っても・・・」でした。

あまりにも気になったので家に帰ってネットで検索したら金子僧侶の言葉であったと知りました。

仏教思想の根幹である「不生不滅」の教えを説いた言葉と言われています。

花びらが散ると、例えば桜など、「あぁ~、花の季節は終わったなぁ~」と見る側は思いますが、植物にはこれからが始まり。
受粉しためしべが次の世代のもととなる種を育む活動の開始です。

花びらという分かりやすいカタチに目を奪われて、ついつい惑わされがちですが、花びらの散った後にはちゃんとめしべだけが残っているものです。

カタチある自分がこの世から無くなった後にも、なにか残るものが残せたらいいなぁ~。今生きて活動しているうちのなにかひとつでも。
名字とか家とかといったカタチでなく、なにか、が。

そう思った言の葉でした。

小宮山 悟さんの言葉

「プロ野球でいろいろな選手を見てきたけれど、「なぜだろう?」という疑問や好奇心を持たない人間は絶対に伸びない。不思議がることが大切。疑問を解決するためにあれこれ考え、いろいろなことを試してみる。そういう気持がある人間は、あるとき、飛躍的に伸びる。もし僕に「なぜ」がなかったら、こんなに長くプロ野球の世界で生き残ることなどできなかった。(略)

 「才能とは関係のないところで差がつくことが多いなあ」というのが、プロの世界で20年間生きてきた僕の感想。」

                        元プロ野球選手 小宮山 悟さん



この言葉は、小宮山さんの著書「成功をつかむ24時間の使い方」の中で書かれている言葉。

著書の冒頭で「残念ながら、僕の野球の才能は天才や怪物に比べると豊かなものではありません。むしろ、乏しいと言ったほうがいいくらい。」と自己分析をされ、そんな自分でもプロ野球で生き残っていくにはどうしたら良いか? その実践体験が綴られた著書です。

才能はスタートラインの位置を決めるものには違いありませんが、決して結果の最終的な成功度合いを決めるものではないのだと思います。
成功の度合いを決めるのは努力の方向とその努力の量ではないでしょうか?

「もっと良いものができるのではないか?」
もっと、もっと、もっと・・・。
このような貪欲さは良い貪欲さではないかと思います。

現実をしっかり受け止めて、「どうすれば良くなるか?」を考えて、思い付いたら実際に試してみて、その結果をまたそのまま受け止めて、そしてまた「どうすれば良くなるのか?」をさらに考えて・・・。
この繰り返しをとにかく続けていく。

これこそが、自分をなりたい自分に近づくために向上させていく唯一の方法なのではないか?
と私は思います。

真の勝負とは

勝利という言葉には格別の深い意味があって、ただ相手を打ち負かすこととは実は関係ないのである。勝利とは、自分自身についてこれまで以上のものを発見し、自分の経歴を通じて、今後の成功や充実した人生につながるあらゆる思考パターンや行動パターンを見つけ出すことである。」

この言葉は、スポーツ心理ドクターの辻 秀一さんが「スラムダンクの勝利学」という著書の中で引用している、辻さんが尊敬するスポーツ心理学者の言葉です。

この言葉に続き、辻さんは次のような言葉をつなげています。

「競技とはすべて自分のためであるべきなのです。自分のためにということから、競技におけるさまざまな考えの焦点が自分に置かれていなければなりません。ところが、ほとんどの競技者は思考のほこ先が、相手にばかりいってしまっているのです。相手を叩きのめさなめればならないだとか、この相手だけには絶対負けたくないだとか。この相手よりも上だとか下だとか、いつも焦点が相手にばかりで、しかもマイナスな考えばかりをしてしまっている選手が少なくありません。

 相手には敬意こそ払え、また、より分析やスカウティングこそすれ、思考の焦点はいつも自分のために自分自身にあるべきでしょう。」

スポーツであれ、学問であれ、ビジネスであれ。
比較し順列を付けられる機会があります。
が、ただ単に勝敗や数字(順位だったりシェアだったり売上げだったり)にだけフォーカスし取り組むのでは、‘相手がいない時’には何をモチベーションにするのでしょう?

自分以外の人と比べる機会は、自分が信じ実践したことが正しいか訂正すべきかを客観的に判断する機会として活かすべきものなのかもしれません。
いわゆる‘Plan→Do→See’の‘See’に当たる過程として大いに活用すべきものなのではないでしょうか?

思考パターンや行動パターンを見付け出しても、それが頭の中にだけある場合は何の意味も持ちません。それを実際に実践すること。そしてその実践によって得られる結果からパターンの精度を確認すること。
それこそが、自分を向上させていくことになるのだと思います。

そういう意味では「得られた結果」が尊いのではなく、試行錯誤を常に繰り返し評価を問う行動こそが尊いのだと、思います。
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